24歳の博士課程の学生のハジラ・ビンティ・タハミトさんは、日本へ旅立つ予定です。日本において、彼女は、世界中から日本語スピーチ・コンテストを勝ち抜いてきた他の優勝者と一緒になる予定です。
ハジラさんは、リンバにあるシビル・サービス・インスティチュートで最近開催された第25回日本語スピーチ・コンテストの上級者カテゴリーで優勝したことを知らされた後に、この栄誉を獲得するのに成功しました。ハジラさんは、「私の愛する日本語」と題する3分間のスピーチの後、優勝を勝ち取りました。ハジラさんは、そのスピーチで、日本語を習得するのに彼女に影響を与えた2人について話しをしました。
このコンテストは、実際彼女にとって全く初めてでした。そして、彼女は、偶然にコンテストのことを知りました。「私がこのスピーチ・コンテストを知ったとき、在英日本大使館において、雑誌を拾い読みしていました。」と、彼女は述べました。ハジラさんは、お父さんに電話をして、彼女に代わって申込用紙を書くように依頼したことを思い出しました。
コンテストでは、彼女は、自分の妹について話しました。ハジラさんは、妹を日本語が“非常に上手な”人として述べています。ハジラさんは、16歳の生徒であったのを覚えていました。その時、妹の日本語の本の一冊を取り出し、そしてそれを学習している間まったく混乱状態だったことを感じました。ハジラさんの妹は、姉がその本を読もうとする試みに前向きに反応しませんでした。そして、それが、ハジラさんに日本語の技術を習得することを勇気付けました。最近、ハジラさんは、妹と日本語で世間話をすることに時間を費やしています。
2006年、ハジラさんは、大学での学業を続けていましたが、その時に、ハジラさんは、井田さんと言う名前の女性に会いました。井田さんは、ハジラさんを一般に“アニメ”として知られている日本語のアニメーションに夢中にさせました。
ハジラさんは、“アニメがあなたを別の世界へ連れて行く”として、簡単にアニメのファンになりました。
「そして、あなた方が(大学で)学んでいる時に、あなた方は、非常にストレスを感じるので、その緊張をリリースする必要があります。私は、アニメが誇張されていて、またおかしいと分かりました。私は、コメディを見るのが好きです。そして、私は、毎日コメディを見ます。」と、ハジラさんは述べました。
ハジラさんが、初めてアニメを見始めたとき、ハジラさんは、言葉が分からず、字幕に頼っていました。しかしながら、時間が過ぎて、ハジラさんは、特定の言葉を理解し始めました。そして、そのことが、ハジラさんを最終的に欲求不満にさせ、ハジラさんは、ただ単に推測するより言語を習う決心をしました。
2009年に、ハジラさんは、レッスンを開始しました。「私は、それらのレッスンに1年間に142英ポンド(GBP)という多額のお金を支払いました。そして、当時、為替レートは、ブルネイ・ドルに対しておよそ3倍でした。」34レッスン(85時間のクラス)と若干の試験の後、ハジラさんは、日本語をマスターしたことを示す証明書を受領しました。
このコンテストに優勝した後、ハジラさんは、日本に行くことを常に切望していましたが、現在ニューキャッスル大学でメディア・文化研究の博士課程を取っているので、この優勝をほろ苦く思っています。「私は勝つと思っていました。私は楽しんでしましたし、私の物語を話しましたが、私は勝ちたくありませんでした。私は、実際、2位に入賞することを願っていました。私は、私のボーイフレンドと一緒に専門のスタジオで、写真撮影部門で優勝したかったです。」
ハジラさんの優勝のタイミングは、現実と同様ではありませんでした。幸いにも、ハジラさんは、英国のブルネイ学生部とニューキャッスル大学から自分で勝ち得た旅行に行く許可を得ることができました。
ハジラさんは、日本の土を踏むことができると考えただけで、彼女の幸せを表現するほど内気ではありません。「私は、日本に行きたかったですが、日本に行くのは非常にお金がかかります。そして、私は、常に勉強で忙しい日々を送っていました。」
ハジラさんは、到着と同時に、1週間にわたる東京旅行に行く前に、在日ブルネイ大使館の代表者と会うことになっています。東京では、沢山の講義に出席し、世界中からの日本語スピーチ・コンテストの優勝者達と仲良くなりながら、スピーチに出席する予定です。
(B.B.2011年10月15日)
|